関西学院大学探検会

平成雪合戦ちんぽこ報告書
                                 文責:田村彰浩              
『目 的』 1.探検会雪合戦部門の活性化。
       2.町おこしのお手伝い!?
       3.私をスキーに連れてって。
『場 所』 滋賀県坂田郡伊吹町甲津原(奥伊吹民宿村)
『期 間』 2002年2月1日(金)〜2月3日(日)
『費 用』 
参加費 1.500円(1チーム15.000円を10名で割った)
 行き電車代 1.780円(JR大阪〜近江長岡、学割使用)
 バス代 1.000円くらい(近江長岡〜甲津原)
 *スキースノボ、レンタル代 4.000円(一日券の場合)
  *リフト代 4.000円(一日券の場合)
 その他雑費 
 合計 15.000円(20.000円くらい持って来よう) 
 *スキー、スノボをやりたい人のみ。よって合計費用は人によって異なる。    

『戦闘員』 雪を知らない南国の子どもたち  (チーム探検会の面々)          
隊長:田村彰浩      装備:服部真矢子      補佐A:北原知也 
食糧:北中里佳      記録:竹内恵美         補佐B:三村知之
渉外:小路山裕紀     会計:松岡はるか      補佐C/D:阪本泰人/松木健児

『緊急連絡先』
古賀良太郎
奥伊吹スキー場 0749−59−0322  実行委員会事務局 0749−58−1121
『日 程』
1、 6:33大阪駅−8:22米原8:25−8:35近江長岡 8:43バス(甲津原行き)9:37
注意:時刻表が古いので各自で確認すること。バスは最近のもの。
2、 2月2日に来る人は各自で!ただしみんなで帰るため、近江長岡駅まで電車で来るように
参考:上の時刻表は平日ダイヤです。土曜ダイヤはほぼ同じですが、各自で確認する事。
    バスは上記と同じで構いません。
2月1日 雪合戦の練習及び会場設営補助(雪像・雪だるま造り)酒盛りwithおっちゃん
2月2日 開会式10:00       第一試合13:26 vs TOP  (惜敗)
                                        第二試合14:56 vs よっこらしょ(惜敗)
      17:00〜19:00交流レセプション  その後、おっちゃん達と酒盛り
2月3日 終日自由行動 (スキー、試合観戦)
     甲津原17:55−18:50近江長岡19:14−19:23米原19:24−20:44大阪

『共同装備』 ヨーレイカ(ニュー)、ヨーレイカX、ムーンライトZ、ムーンライトX、MSR×2、ボトル、カートリッジ500×2、カートリッジの頭×2、鍋×4、調理セット、ランタン、マントル、ろうそく、救急医療セット、テンマ、ラジオ、スコップ、ゴミ袋、新聞紙、旗、バット、ボール、バトミントン、トランプ、その他遊び道具

『個人装備』 シュラフ、シュラマ、シュラカバ、ザック、ザックカバー、レジュメ、
タオル、防寒具、カッパ上下、サンダル、着替え、化繊のシャツ、手袋、軍手、ジャージ上下、ポリタンク2L 、ライター、ブキ、バール、行動食、
米、ヘドラン、トイペ、ゴミ袋、学割、常備薬、学生証、保険証のコピー、スパッツ、目だし帽、グラサン、カイロ、そり、酒、つまみ、

『反 省』  伊吹山冬山登山合宿からの連チャンだったので、みんなの士気が下がらないかと心配していたが、杞憂に終わった。それというのも伊吹町民の心温まるもてなしや、物音一つしないシンシンとした町並み、そして開発のかの字も見当たらない、自然。などなどによるものが大きいであろう。ぼくの故郷でもないのに「ふるさと」を思わずにはいられなかった。二日間とも交流センターに泊めていただき、また地酒や郷土料理をごちそうになり、感謝感激感動感じる〜。その御礼になるか分からないが、一日早く着いたメンバー(阪本さん・松木さん・北原さん・服部・北中・田村)は会場作りを手伝った。真矢子の造った雪像はホントにうまくて、地元の人々も喜んでくれた。松木さんの造ったラーメンマンと田村マンも力作であった。阪本さんの雪像も表情豊かだった。里佳の作ったのはただの雪の塊と思われたらしく、ろうそくを立ててもらえなかった。ぼくたちに手伝っているという意識は余りなく、日頃雪に接する機会のないため、童心に返ったかのように(というよりもみんな常に童心)雪遊びをしていただけだったのかもしれない。負けん気の強い探検会の面々にとって雪合戦の試合に負けた事は悔しかった。人数の上では勝っていたのに旗を取られて負けるあたりがバカばっかりな探検会の良いところ。「お前の指示が悪かったのでそうなったのだ。」と非難され、ぼくは「名選手が名監督になるとは限らない。」と言い張った。その夜、交流レセプションで敗者復活戦があったがぼくのノーコンによりドボン。(離れた所から雪球を投げて雪だるまにぶつけると言う競技)花火も上がり、太鼓もうなり盛大なお祭りとなった。ゲストに相撲取りで前頭五枚目の蒼樹山選手(本名:寺木秀樹、彦根市出身時津風部屋、得意技:突き押し)が来ていた。みんな握手してもらい、阪本さんやコジらは雪を塩に見立ててまいてもらったり、しこをふんでもらっていた。ぼくは顔も名前も知らなかったのに、「いつも見ています。がんばってください。」と言ってあげた。司会進行役の中京テレビのお姉さんとも写真をとってもらった。この際も「いつも見ています。がんばってください。」と言ってあげた。お楽しみ抽選会も見事に全員ハズレだった。三村さんをはじめ、もげ・キタポン・コジ・マヤコ・エビ・エロ社長などなどによる地元の女子中学生との援助交際もみられ、今回のテーマは本当に『ち○ぽごおり』であったなとつくづく思った。
 三日は予選敗退のためすることがなく、奥伊吹スキー場でスキーをした。ぼくと松木さんは生まれて初めてだったので、なんちゃって湾岸スキーヤーであった。残りの阪本さん・まやこ・コジ・はるかは上手くて、我々を優しく且つ上から見下してご指導して下さった。のも、最初だけで阪本さんとまやこは上級者コースに消え、コジとはるかは昼飯を食べに行ってしまった。松木さんとぼくは、「けっ、スキーなんてできなくたって生きていけるんだよ〜、生きろ!」とお互いを励ましあった。リフト代を浮かせようぜと松木さんが無茶なことを言い出し、二リフト分登った。伊吹山に登った時よりしんどかった。上まで登って、上級者コースを見上げ、「ここから先は住む世界が違うな。パズ〜来ちゃだめ〜。」とまた互いに励ましあった。
 伊吹山合宿から入れると四泊したことになるが、あっという間に時は過ぎ帰る時間になった。北原さん・三村さん・里佳は先に帰っていたのでバスがあったが、残りのメンバーが帰るときバスがもうないことに気付き、あたふたしているところにまたもや地元のおっちゃんが自家用車で近江長岡駅まで連れて行って下さった。どこまでも親切なこの方たちは、春になると消えてしまう、降り積もる雪のように真っ白でアタタカであった。雪をアタタかいと思ったのも初めてである。帰りの車窓から流れる景色の中に、ぼくたちが造った雪だるまたちがこころなしか、泣いているように見えたのはぼくだけではないだろう。だって溶けかかっていたんだもん。そうじゃないんだ。一期一会とはよく言ったものでぼくたちはまた都会にかえってゆく。いくらこの町の自然が豊かで人も温かいとは言っても、ぼくらはこの町の良い面を見ただけに過ぎない。ぼくらには雪の厳しさも、押し寄せる過疎化の波も分からない。ただの傍観者、通り過ぎる者である。数泊しただけでこんな所で暮らしてみたいなどというのは、愚である。一時的に身を寄せるから、帰る街があるから、そういった思いがあるから、この町のような居場所を求めるのである。この町の人々の必死に人を呼び、活性化をはかろうとしている姿がぼくにはちょっぴり痛ましかった。夕暮れ時の町並みは、静まり返っているだけでなく、人っ子一人みあたらず、得体の知れない不安感にさいなまれた。とまあ、うだうだぐじゅぐじゅのんべんだらりんと書き連ねてきたが、僕らに出来る事は来年も一日早く来て、雪像や雪だるまを造り、雪合戦で優勝し、少しでもこの町の活性化につなげることくらいである。今回お世話になった快いおっちゃん、おばちゃんたちと来年も元気に酒を酌み交わしたい次第である。以上。
 注)説明しよう!『ち○ぽこおり』とは静岡県浜松市でつららの意。国語の教師をされていたおっちゃんに聞いた。地酒を飲みすぎて酔っ払い、『ち○ぽこおり』を連呼していた男がいた。ちなみにふりつけはコマネチであった。その男の名誉のために名前は伏せさせていただくが、皆様お見苦しい姿をお見せしてすみませんでした。

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