関西学院大学探検会

 日程
9月9日
伊丹空港に着いていきなりホワイトガソリン騒動。あの臭い、紛れもなく確信犯。「これホワイトガソリンなんですけど」と言っておとなしく差し出した。何故か渡辺に会い、いまいちスキャンダル度に欠ける出会いにしらけつつも、飛行機の時間を待った。搭乗ゲートでピアスを落としたお騒がせな大チャン。飛行機に乗り込むと大チャン、芝っち、おおはしゃぎ。「じっとしてなさい!」小一時間かけて那覇に到着。めちゃ蒸し暑かった。松尾と海老ちゃんが待っていた。荷物少なっ!と突っ込んだが、今思えば間違ってたのは明らかに俺らの方だ。まず昼飯、と言ってバスで牧志公設市場へ。ゴーヤチャンプルーやらソーキそばやらを食べた。おばちゃんの接客、早よ出て行けと言わんばかりで、追い出されるように席を立つ。そして、ここからがさすが行き当たりばったり合宿、食後に合宿計画を立て始めた。西垣の乱入離島プランは帰りのフェリー予約満席の為、敢え無く頓挫。結局、本島プランとの折衷案としての伊是名、伊平屋島プランに決まりとなった。カートリッジ買いに行ってた松尾、大チャン、芝っちと合流したのは、多分17時を過ぎていたと思う。皆さんお待たせしてすんませんでした。それからは食料を買いに行くことに。途中ドミトリー(*何故か男女を分けた説明があるにも拘らず普通に男女一緒に誰もが生活している、可愛い座敷わらしが出たり、マッスルマシーンがあったりと、よう分からんが、いい人ばっかりで、1年以上住み着いてるきっしょい奴もいる位のいい所。あれはある意味ユースホステルの粋を超えている)に寄って荷物を置き、スーパーへ向かう。西垣が長っがいもりを買ってたのは、品揃えが、あれのみ、オンリーワンだったから。お菓子売り場の前で、じっと佇み動かないはるかを見た。そんなに欲しけりゃ買い占めちゃえばいいのにね。買い物は大チャンのずさんな腹黒さを食料の松尾が何とか押さえ、無事終了。ドミトリーに戻りディナー作り開始。よーし、ポンピングすっぞ。シュポシュポシュポシュポシュポ、バキッツ!って壊れてんじゃねーかよぉぉぉぉ。MSRは合宿初日で逝きました。でもありゃ、この際言っとくが俺も悪いけど、俺だけが悪いんじゃねえよ。修理に出すときにIBSのおっさんが「これは寿命やね」って。そこんとこくれぐれもヨロ。この日のディナーは豚シャブ丼でした。100均ショップへの深夜のミッドナイトランはガッキーと大チャン二人だけの秘・め・事。常に勝気な松尾が一人、皿を洗う背中が寂しげな夜でした。それから6人は夜の街に繰り出す。北原、北中氏お墨付きの居酒屋「すみびや」で飲んだ。海葡萄にモズク、泡盛そして馬刺し、どれもうまくて良かったなぁ、バイトの接客以外は。酔って皆で帰り、その日は寝た。しかし俺ら夜うるさかったなぁ。「はよ寝えやっ!」とかはるかがキレてた。フフフ面白くなってきたぞ、この合宿も。明日早いんだから早く寝なさい皆さん。


9月10日
朝5時半起き、何とか皆起床。サンドウィッチを食って7時に間に合うようにバス停まで出発。7時過ぎ名護行きのバスに無事乗り込み、伊平屋島を目指す。バスん中、気付いたらバスターミナルって感じやった。暴睡、パーティ全滅。バス、タクを乗り継いで運天港に着いたのは10時ごろでした。途中、海と空の青が綺麗だったなぁ←昼間っから泡盛買って飲んでた西垣。11時発のフェリーに乗って伊平屋島へ。船上、なぜか野上さんに自慢メールを打ってた。島に着いたのが12時半ごろ。着いてラーメン食いました。西垣が早まって海に飛び込んでる内に事は進み、レンタカーを借りることに。粗暴な運転でテンバに向った。野甫のビーチで泳いだ。綺麗やった。熱帯魚の色彩と光のプリズム、空の青と海の青。それは、もうため息が出るくらい、時間がたつのも忘れて、ビーサン流されてた。本当に感動した。
それから夕日に黄昏てた所を盗撮されたり、いきなり消えてた松尾や芝っちが帰ってきてたりしながら日は暮れていった。大チャンの運転(*本人が怖くて「キャー!」って悲鳴上げてるんだと思うが、乗ってる人間の方がもっと怖いわ!っていうような極めて不安な運転)でテンバに戻り、ゴキブリシャワーを浴び、ゴキブリディナーを食べ(21時過ぎ、ソーメンチャンプルーおいしかったよ)その後ゴキブリテントを離れ星空ドライブへ。クマヤ洞窟は行ったのに怖気づいてとんずら。ノーリーズンはでっかくて安かった。星を見ながらの花火、線香花火対決(松尾が負けたことぐらいしか覚えてない)。帰りに松尾が車をボッコーンとかぶつけたけど、まあそんなこともありながら無事ゴキブリテントへ、その日は寝た。明日西垣は5時30分発でクマヤ洞窟に行くらしい。


9月11日
朝の洞窟。からその日は始まった。結局6人全員で6時50分、昨日のリベンジへ。浅い洞窟だった。写真だけとって帰り、8時頃、朝食のホットケーキ作り開始。片付けと平行に作って、食べて、ご馳走様は9時を過ぎてた。皆頑張って出発用意をして、9時55分にはゴキブリとも別れを告げれた。途中西垣が島ぞうりを購入し、レンタをおっサンに返して(おっさん、港まで送ってくれた。)、10時40分には伊是名への渡し舟に乗り出発。15分くらいで伊是名島に着いた。はるか隊長のミステイクがしかし即座にヒッチでトラックをゲットし、無事伊是名ビーチに到着。テントを立ててから海へ。サンゴ礁こそ無かったが、気持ち良かった。松尾がスイカでピョコ〜ン、ピョコ〜ンと進んでた。芝っちを見て「絶対前世は尼さん!」と思って、辛い海の苦労が忍ばれた。「10回いかな昼飯抜き」第一回ビーチバレーはとにかく足が痛く、みんな「痛っ。」とか「いつっ!」とか言ってた。それと終わってみて全員バレーが下手って事がわかった。飯食って(多分ラーメン?)昼寝しようって事になった。がしかし皆、1時間半くらい縛睡。よだれに溺れそうになっていた。起きてもうひと泳ぎしようとしてるとき、西垣がズサンな一言。「あっこまで泳いでこうぜ。」眼前にある「コンガリココナッツ島」の事だった。名前がイカすって事で集まったアホメンバーは西垣、松尾、海老ちゃん。松尾なんて、眼鏡かけてやがっていた。泳ぎだしたのは、16時30分頃。当時西垣は、小一時間位で帰ってこれると本気で思っていたらしい。めちゃと遠いと気づいたのは余りにも遅すぎた、というか余りにもアホすぎた。途中、みんなしゃべらんくなってた時が確かに何度かあった。まああの時の航海のことは実際行った3人しかわからんと思うけど、あえて言うなら、「鬼気迫ってたけど笑ってた」。途中、大チャンが電話してしまわないかと心配しながら、僕らは探検会の器をも背負って進んだ。ココナッツ島…滞在5分くらいだった。夕日が、もう見れないと思ったのだろうか?やけに綺麗だった。何とか着いたのは19時半頃。実に3時間、松尾はピョコ〜ン、ピョコ〜ンのスタイルを貫いた。でも奴が一番疲れてなかったのが、何か悔しかった。顔も濡れてなかった。帰って来て食べたスープがめちゃ美味かった。尼さん(もはや)のパンみたいなのも。晩飯食って、星空眺めてた。大チャンと尼さんと松尾は何や長いこと語ってた。何を語り込んでたのかな?でも途中少し耳を挟んだが「もしも、車のタイヤで顔面踏まれたら・・・」みたいな極めて内容の無い話しかしてなかった。その日はそんなかんじで寝た。寝てない人もいたけれど。大チャンの星座表は役に立ったのかな?


9月12日
朝5時半ごろ西垣の作ったラーメンはのびていた。皆は起きた瞬間、それを食って、テントをたたみ始める。テンバを何とか7時前には出発し港まで徒歩で向かう。朝日と珊瑚礁の美しい海岸通りを想像していたけれど、何か汚かった。二見が浦海岸で西垣が30分だけ泳いだが、汚かった。珊瑚が死滅していた。沖縄の環境汚染をその時実感じた。車道に上がり、ジュースを飲み、港へ。フェリーに乗り込み出発したのが9時だった。フェリーで1時間半程、みんな寝てたと思う。運天港に着きタクシーを呼んだ。タクで名護まで行き温泉を探したがぼったくり。ちょっと歩いて、おばあのいるソーキそばの店に行った。かなり激ウマでかなりおばあはいい人だった。トヨタレンタカーに向かい、イプサム(ガイヤ?)を借りる。かなりの乗り心地で、粗暴な運転以外は言うことなしだったと思う。北に向かいヤンバルへ出発(13時15分)。海岸線をひた走り、ヤンバルの里へ。入場料を取られ、かなり人工的で突っ込みどころがふんだんだったが、何よりも、「お前ら歌いすぎやろ!」ってみんなに突っ込みたかった。音楽の教科書の歌がネタ尽きるまでずっと流れてた。最後の方はなんかもう、踊りだす始末で、もうてにつけられません、っていう感じで、他人に何かいわれても「知らん人です」って言おうと思ってた。ホンマニ悪い所だけ先輩ににてきたなあ、だんだん。でも歌はちょっと僕も歌いたかった。最後にあった滝はちょっとアツかって西垣はまた、はやとちって上ろうとしてた。でも後から松尾が冷静に一言「中途半端なんじゃ…」。お前はちゃらんぽらんか、っつう感じで、ヤンバルを発ち、今度は本島最北端へ。何か俺はそこで寝てたような気がする。なぜなら思い出がないから。かき氷くらいしか。なんかおもろいことあったんか、お前ら?そこからは南下して御土産屋に寄って、試食と冷やかしをさんざんやった挙句お買い上げ0で帰ったり。夕日を途中で見ながらカエルの学校を何故か輪唱して最後に座った僕は、落となあかんプレッシャーを勝手に感じたり。そんなこんなで本島東海岸へ。中古CDショップで散々もめた挙句何故か、平井堅を購入、「何で沖縄にまできといてMiraclusかよ」っていう夜のドライブが続いた。途中、パーキングで夜飯、お好み焼きを食うことに。マヨネーズの為に松尾と二人車で、敵もいないのに、高速まで及ぶ一台だけのカーチェイスを繰り広げたのは実にスリリングだった。お好み焼きは何故か全然食えなくてみんなも食えなくて、まずかった訳でもないのに今思えばまずかったのかも?と思えるほど、あまった。変なリストラ明けのおっさん(ぎりぎりで乞食)に一日一膳をおこなったりもした。(カートリッジをあげた)それから23時半頃、若い6人はミッドナイトドライビングに出発。海辺に行きたいっちゅうことで西垣が運転してたけど、途中ぶつけたり、こすったり、はまったり何か色々したのは、今だから言うと、ごっつ眠たいかったからです、すんませんみなさん。変な玄米の飲み物との関与は一切ありません。ついでに実は僕車運転したんも10回もなくて、「沖縄で覚えたる」って思ってました、すんません。みんな、今生きてることが奇跡だね。
多分ここら辺でもう既に次の日なんだろうから9月13日
僕はさすがに殺人者にだけはなりたくなかったので松尾に運転代わりました。途中気がついたら浜辺で、花火をした。何かポリさんにひっかかったりもした。そうして僕はまた眠りに落ち、気づけば真っ暗な首里城。何も見えなかっただけなのに、大チャンと松尾と尼さんに不審者呼ばわりされてしまった。既に昇りきった朝日を戦争記念公園で見て、便所でお好み焼きの残りを食う。そこから北へ、知念半島へ向かうことに。方向音痴がナビゲーション、海老ちゃんが助手席で渋滞の琉球路を行く。ドライバー松尾、大チャンは、おつかれ寝てたね。大チャンなんか運転うまくなったなあ。一回しか道間違えなかったのは上出来で、結局ほとんどカーナビの力なのか?とか思った。いやいやしかし海老ちゃんも「又眠たいんでしょ!」って叱ったり、十分役目はたしてくれた。お昼前半島に着き、海中道路を通って離島へと。最先端まで行っておにぎり食いたかったが、いくとこなかった。ドラゴンボートはぼったくりっちゅうことで敢え無くボツ。そんまま帰り、海中道路の上でおにぎり食うことになった。そこではるかさん「コーンポタージュがいい!!」対して大チャン「コンソメのほうがええ!!!」ほんま火花バチバチッって感じやったけど、結局どっち食ったかホンマに覚えてないくらいどうでも良いことだったなあ。まあそれで二人の仲が悪くなるならそれでいいとは思うけど…。そこからはもう帰るだけ。松尾さんのカーナビ使いは既にこなれてました。途中でスーパー(コープ)に寄ってお土産を購入。普通のお菓子とかモズクとかかってたからね。the貧乏。泡盛も買って、オリオンBeerも買って、傷だらけのイプサムを返しに。弁償無かって良かった。空港でお土産を買い(ある者は食い)、荷物預けて飛行機乗りました。しかし何で俺らはいつもあんなにギリギリになるんかなあ?走ってたからね。帰りの機長は加藤で、奴の運転は完璧だった。伊丹に着き、荷物のコンベアーの所で「あのコーナーをもりは果たして曲がりきれるのだろうか?」とかってずっと考えていたが、普通にANAの人から手渡しされた。そしてついに感動のフィナーレが。等身大のANA職員に成りきっての写真撮影。最後の最後まで安っぽい演出で、長かった合宿も終わり。お疲れさんでした。その後、駄目出し会を電車でやりながら僕らは帰りました。


反省
(1) 費用
今回費用は一人実に¥37、689、個人出費を合わせると、\40,000近くもかかってしまった。特に交通費について注目してみると、名護(運天港)までのバス、タクシー代計¥2.290、伊平屋島へのフェリー¥2、380、又伊是名島からの帰りフェリー¥1,760、本島のレンタカー24h、6人合わせ¥18,478(一人¥3,080)、伊平屋島のレンタカー¥5,251(一人¥875)共にガソリン代込み、渡し舟6人で¥11,251(一人¥1,875)と交通費だけで一人合計¥10,500であった。     ちなみに石垣島へ行き八重山諸島の離島(例えば最も費用の高い西表島)へ渡ったとしたら、レンタカー代などは考えていないが交通費一人往復¥13,180になる。そんなに贅沢をしたという観もない。結果としてなんやかんやといってお金はかかったということかもしれないが、今回の費用と比べたときの八重山諸島に行ったとした費用は、個人的には、その八重山の島々の魅力を考えれば決して高いものとは言えない。むしろ八重山の島を選ぶべきだというべきであろう。今回はフェリーの予約が取れずしょうがなかったのだが、伊是名、伊平屋島への交通費が大きくかかっていることから、安く行くなら本島のみでレンタカーを借りる、離島に行くなら、少々お金がかかっても思い切って八重山の島に行ってしまうべきなのかもしれないと思った。
                                  (文責:西垣慎二)

関西学院大学学探検会