関西学院大学探検会

八ヶ岳冬山合宿感想

 

北原知也 (詳細な報告は記録・日比野に任せる)

 八ヶ岳・赤岳への挑戦、これはささやかでも大きな目標の一つだった。
始めは密やかな僕だけのものだったかもしれないが、メンバーも増えて今回1年越しの計画は、服部と日比野と3人で挑戦することになった。コースは赤岳鉱泉にベースを張り硫黄岳と赤岳をピストンするオーソドックスなもの。これにいたる冬山練習の過程は、机上講習に加え、一昨年の氷ノ山、昨年の比良山、伊吹、北八ヶ岳、大山。少しずつ着実に経験をつんでこれたと思う。この間冬山に携わったメンバーは数多い。
 結果、今回、山頂までいけなかった。予想以上の寒さ、天候。硫黄岳は吹雪により山頂?手前で撤退した。赤岳も快晴に恵まれたが強風により赤岳展望荘付近で撤退。前夜のどか雪により地蔵尾根に苦労し時間がかかってしまった。山頂をまじかに控えた地点での撤退は悔しすぎた。誰が撤退を決めたのか、自分たちだ。「まあ、また挑戦しようや」。でも快晴の横岳、赤岳、阿弥陀岳を拝められたし、雪の北ア、富士山などの展望も感動的だった。まず凍傷もなく無事に下山すること、させること。隊長のやるべきことってなんやろか。またしても課題を一杯抱え込んだ。でも自分たちの大きな成長も確認できた。僕は下山してまたすぐ「次どこいこかなあ」と考えてしまう。山では「何で俺らこんな冬山来るんやろう」といっていたのにホンマにおかしい。あー熱かった、ほんまおもろかったわ。(皆さんご心配おかけしました。)

(概況)
 1月3日、天気予報は良くなかった。JR高槻駅で合流した僕らが気にしていたのは天気予報だった。木曽福島のあたりから車外は雪景色になり、茅野駅に着いた頃には完全に雪だった。でもそれは別に気にならなかった。山で晴れてくれればいいのだ、それも赤岳の日に晴れてくれれば言うことはない。いつもどおり茅野駅の外にテントを張った。スパゲティの夕食を済ませた後、トランプをした。隣には一橋大のサークルがテントを張っていた。

 1月4日、前夜のトランプで負けた僕は朝食当番として湯を沸かしていた。メニューはたぬきそば(油揚げ、ねぎ、てんかす)。天気は良くなかった。大分積雪があるようだった。バスで美濃戸口に向かう。登山届けを出した。雪がぱらついていた。ゆっくり準備運動をして歩き出した。日比野は前と後ろに50リットルのザックを抱え歩きにくいことこの上なさそうだったが我慢してもらうことにした。
 ほぼ予定通りに赤岳鉱泉についた。思ったよりずっとしんどかった。特に強風が辛い。途中何人もの下山者とすれ違った。登る人はほとんどいなかった。テン場には数張りのテントがあったが、もっと華やかに彩られたテン場を予想していたので淋しかった。入念に整地をしてテントを張った。小屋のトイレが新しいのが嬉しかった。千円というのは高いと思うが。気温が予想以上に寒くて一同震えていた。やっぱり風が痛い。顔に痛い。味噌鍋で体を温め、トランプをした。外は吹雪いている音がする。天気が悪ければ停滞もありうるなあ、などと話し合う。テントの中で炊事しているうちはあったかい。小屋の温度計の針が振り切れていた、と話をする。トイレに行くついでにみんなで雪かきなどをし、翌朝の天気回復を祈って就寝。

 1月5日、またしても朝食当番の僕は酸欠気味のテント内をまず換気するため外張りのファスナーをあけた。ところがテントの外も中も大して気温が変わらない。雪は降っていないが曇り。はや白んできていた。どうやら寝坊してしまったようだ。でも夜明けは遅いし、天気も良くない。コンロに火をつけ、スープビーフンを作る。トイレついでに雪かきをし、前夜またかなりの積雪があったことを確認する。天気の悪い硫黄岳など行ってなんになるものか、と僕は思うが、とりあえずみんなを起こし準備をする。スープビーフンは朝食に最適だった。
 小屋そばの道を北西にたどる。樹林帯の中は風からも守られ快適な雪山登山だ。寒いのでまとまった休憩は余り取らず、ゆっくりめで歩く。2ピッチほどで樹林帯を抜けた。前の登山者を追い抜こうか迷ったが、あえてゆっくりついていくことにした。うえから下山者が来るが、山頂の様子を伝えてくれる人はいない。山頂がどうだったのだろうか気になる。赤岩の頭に着く。この頃になると吹雪が強まってきて、立ち休憩もそこそこに進むことにした。前の2人組は行き先を見失っているようで、先頭を代わり磁石を頼りに北西に向かう。前に来たときの記憶は当てにならない。登山者が降りてきて道を教え、僕らも道を聞く。「吹雪いてますねえ」「そうですね」。はやくも僕はいつ撤退しようか考え始めていた。硫黄岳の山頂など取るに足りない。しかもこの風だ。でもすぐ近くまで来ているはず。もう少し…。日比野と僕のザックを目印にデポして少し歩くが断念した。すぐそこにあったはずのザックがもう見えなくなるぐらい吹雪いていた。ホワイトアウトってこんな感じなんか!樹林帯に入り、水筒のコーヒーと行動食でやっと一息つけた。「あーこわかった!」
 テン場への帰途、ジョーゴ沢に寄り道する気力もなく、小屋に一目散。ついてほっとした。今日の晩御飯はおでんだ、本番はあくまで明日だ、などと考えながらアイゼンをはずし、また雪かきした。テントの数は更に減っていた。この日の晩、ラジオを聴いた。天気予報は良くないばかりか、各地で起きた遭難のニュースがいらだたしく聞こえた。なぜかトランプをする気はなかった。酸欠気味だったのでファスナーを少しあけて寝た。寒いのはイヤだが、酸欠よりましだった。ポリタン、鍋、ランタン、朝起きるとすべてが凍っていた。

 1月6日、ありえないことに晴れそうな予感。雪はやんでいた。そして曇り空がどことなくオレンジ色に明るいのだ。「むむむ、これは…」とみんなを起こす。焼きそばを作りかきこむ。コーヒーを沸かす。今日は時間通りだ。しかし寒さはかわらない。靴の中の足指が冷たくて仕方ない。行者小屋に向かう道すがらみんな何度も立ち止まり空を見上げる。「よーし晴れてきたぞ…」。行者小屋につく頃には大分青空が見え、大同心・小同心のすばらしい眺めに喚起した。横岳の稜線をわたる風はすさまじそうだったが。雲が飛ばされていた。
 地蔵尾根に取り付く。今朝一番乗りだった。ひざラッセルから始まるが快適な登りだ。なんだかわからない動物の足跡がある。傾斜が増してきてあたりがダケカンバの登山道に入る。ここらへんからラッセルがしんどくなってきて、ラッセルを5分交代で進む。ところどころ2段階ラッセルだ。トレースがほとんど見当たらないので、吹き溜まりに足を取られないようにピッケルで確認しながら行く。最初の鎖場は完全に雪の中だった。次の鎖場も手すりがようやっと雪の上に頭を出し、そこの斜面は雪崩の恐れを抱かせた。「このルートどこが初級やねんな…」ぶつぶつとつぶやきながらラッセルした。岩峰上に出るとすばらしい眺めと猛烈な強風だった。みんな指先を気にしてほぐしたりたたいたりしている。何より怖いのは凍傷だった。日差しがまぶしいのでサングラスをきっちりかける。アイゼンの利き具合を確認していっぽいっぽ着実に登る。アルペン的雰囲気のある楽しい尾根だ。でも時間が気になる。服部は疲れているのではないか。俺も疲れているな。地蔵の頭に着いたが、予定行動時間をかなりオーバーしていた。稜線はもっと風が強く、時々フラッとよろめくほどだ。岩陰に避難し、行動食を食べるが、自分のを出すのが面倒くさい。日比野の出したレーズンをおいしいとも思わずもくもくとカロリー摂取を心がけて飲み込む。「なんやこの風…!」いらだっていた。赤岳展望荘に移動し、風のおさまるのを待つが一向におさまらない。「自分ひとりだったら絶対行ってた」とのちに日比野が行っていたが、はっきり言って僕は進退に迷っていた。すぐ目の前に北峰が見えている。でもこの風と体力と精神力の消耗で、山頂まで1時間、下山時間もある、今12時、どうしようかな。最終的にリミットが12時だったので下山を決めた。もし進んでいれば山頂に立てたと思う。で、へとへとになって下山し無事帰ってこれたかもしれない。でも僕的には、まだ元気な状態で判断でき、凍傷もけがもなく無事に下山するほうを選んだ。無理はするな、もっといいときにまたチャレンジしようと思った。で「撤退しようや」と言った。
 地蔵尾根を下山、天気はますます良くなってきた。尻セードであっけなく下り行者小屋で来た道を振り返った。完全に晴れ上がった赤岳。風は弱まっているようだった。マイナス一度の気温がとても暖かく感じた。あー、でも晴れてよかった。中山展望台から見る赤岳にまた来ることを誓った。
 テン場は僕たちのテントを含めたった2張りになっていた。僕たちは早めの下山で時間がありテント内で寒い寒いといいながらのんべんだらりとすごしていたが、なんと夕焼けを見逃してしまった。「なんだ、夕焼けみなかったの!」と小屋の人にバカにされた。本当にバカだった。ゆっくり晩御飯(ブリ大根)を食って、この合宿初めての星空を堪能し、最終日の明日も晴れれば下山が楽だなと言い合って寝た。翌朝も晴れていた。

 今回、いざともなればいつでも隊長を譲れる服部と日比野がメンバーだったのが本当に心強かった。硫黄岳、赤岳の撤退時の判断も独断と専行に陥ることなく彼らの判断を仰いだ。天気が悪かったので、下級生が多かったらもっと慎重な判断に迫られていたと思う。人数は今回3人だったが4人が限度だと思った。テントの収容力、行動力を鑑みて。雪山行動技術は良くなった。厳しいことを言えばきりがない。あとは装備のさらなる充実だ。来年は冬の北海道に行きたい。くまがいないから冬。

 

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