関西学院大学探検会

雪山大山合宿報告書

「期間」 2003年12月12日〜12月13日

「場所」 鳥取県大山町大山

「目的」 今後の雪山に向けた練習

 

「費用」 2300円程度

「隊員」 隊長   小川武(社2)
     副隊長 渡部彩(経2)
     装備    松岡はるか(神3)
     会計    望月文子(総3)
     補佐    野上哲也(商4)

「緊急連絡先」 現役 是常剛範 (法2)
          OB  広高一典
          顧問 芝田正夫先生
          関学学生課

「現地連絡先」 鳥取県警察本部
            大山寺交番
            鳥取大学医学部付属病院

「行程」
12月12日

19:13関学発〜

13日

3:15テン場着(たたらど)〜3:30就寝

6:30起床朝食〜7:49バス(大山寺行き)〜8:20大山寺交番〜8:40夏道登山道入口
〜10:50六合目避難小屋〜12:10八合目前で下山〜14:15バス停(たたらど行き)


「まとめ」

 19時10分、野上隊員の車にて関学出発。大山に着く時間がわからなかったため、小川渡部 松岡 望月は学食にて夕食をすませておく(野上隊員の夕食はおにぎりだった)。途中ジャパンにて翌朝の食料を買い、鳥取県を目指す。予報では鳥取は雨とのこと。案の定、鳥取県に近づくにつれ雨が降り出した。事前の情報では、六合目より上は積雪2センチとのこと。この雨も雪に変わって結構積もってるかもなぁと少し不安になった。鳥取県に入ったときには日付が変わっていた。夕食をすませておいて正解だった。やがて大山に近づき標高があがるにつれ、雨が雪に変わり、道路に雪が積もりだした。にわかに沸く車内。あせる野上隊員。野上隊員の車にはもちろんチェーンは装備されていなかった。テン場予定地である大山寺まで到達するのは不可能と判断し、明朝路線バスにて大山を目指そうと、地図でバス停を探す。バスは米子-大山寺間で出ていて、車でいけるところまで行った、たたらどのバス停付近の空き地をテン場にした。バスの時間の関係で3時間睡眠。正直しんどい。が、大山の雪の状況がわからなかった為、行動時間など考えると、どうしても朝一のバスに乗りたかった。翌日完全登山装備で乗り込んだバスはゆっくりと雪道を進んだ。対向車が頭に20〜30センチの雪をのせて走るのをみて、昨晩でかなり積雪したことを知る。バスが着いたのは登山者用に建てられたであろう施設の前だった(どうやら新築らしい)。そこで水を汲みホワイトボードの大山情報を見ると2〜3日前で山頂付近積雪15〜20センチと記されていた。今はそれ以上の積雪は明らかだった。これはかなり用心が必要だと感じた。途中の大山寺交番で登山届けを提出する。登山道入り口に着いたが、ふみ跡はなかった。この時点で20〜30センチの積雪だった。先頭は渡部に行ってもらうつもりだったが「先頭はしんどいよ、知らんけどな」のアドバイスに小川が先頭、野上隊員が最後尾でイモ3個を包む布陣をとる。先頭は思ったよりしんどかった。二合目と三合目の間で休憩中に後から来た2組に抜かれた。ふみ跡があるのとないのとでは、やはりしんどさは全然違った。非難小屋で長めの休憩を取っていると後からぞろぞろと何組か登ってきた。大山は風が強いと聞いていたがこの日はほとんど風もなく稜線上も歩きやすかった。ぞろぞろと登っていると、突如雷鳴が響き渡った。何度か鳴り響くなかで、僕は光を見た。あたりは騒然とし始めた。メンバーに下山を呼びかけるおばちゃん。地学かなんかの理論を持ち出し、解説を始める大学生。雷の恐さを説く登山熟練者。時刻は12時をまわっていた。少し考えて僕は退く決断をした。行こうと思えば行けるかもしれない。でも何事もなかったとしてもそれは結果論だ。別に大山は逃げないんだから、と自分に言い聞かして、撤退を告げた。みんなこの決定に素直に従ってくれた。素直に感謝したいと思う。下山は何事もなく、全員無事に帰路に着くことができた。ちなみに雪はやわらかく、アイゼンは使わなかった。積雪は六合目より上では40〜50センチはあったと思う。まずは雪山に慣れることができた合宿だった。
                                        文責  小川 武

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